武人で茶人でもある細川忠興(ただおき:肥後細川家の基礎を築いた)の菩提寺。大徳寺の塔頭(たっちゅう:寺院の敷地内にある子院のこと)の一つです。参道(エントランス)の紅葉の景色が素晴らしい。他に長い苔の庭に石の灯篭がぽつんと立っているシンプルなしつらえ、加藤清正が朝鮮出兵の際、京城(現ソウル)より持ち帰った苔むした蹲踞(つくばい)、千利休の邸宅を移築した書院、忠興とガラシャ夫人(明智光秀の娘)の墓。小さなお寺に色々なものが凝縮しています。
京都市北区紫野大徳寺町73-1
後水尾(ごみのお)天皇が隠居後、比叡山が最も良く見える場所を14年間かけて選んだ末に建てられた寺。近景の枯山水の庭園、中景の杉・檜の木々、そして一番奥に背景をなす比叡山。この借景は、四季、天候、時刻によって刻々とその比叡山の姿を変えていきます。まるで映画のスクリーンを見ているようです。庭園を臨む大広間の畳に座りながら、ゆったりと眺める。なんとも心安らぐひと時です。実はこの寺と比叡山の間にホテルやマンションが建てられるという話が繰り返しあり、いつまでこの借景が楽しめるかが不安となっていました。
京都市左京区岩倉幡枝町389
千本釈迦堂(大報恩寺《だいほうおんじ》)
数ある戦火を免れた洛中最古の仏堂建築物。この寺は何といっても「おかめの物語」が有名です。おかめは実は宮大工の棟梁の妻でした。おかめは夫の建築のミス(大報恩寺の上棟式の直前に柱の高さが合わないことが判りました)を「枡組(ますぐみ)」というアイディアでカバーしましたが、その事実が世間に知られると夫の名声に傷がつくとおかめは自害してしまいます。上棟式が無事終わることができたこととその献身的な行動から、このためおかめは「建築の守り神」として建築関係者から拝められています。
京都府京都市上京区今出川通七本松上ル溝前町